「7つの習慣」をやってみる。

幾多の啓発本に振り回され続けた日々。今度はどうだ。

①主体性:26〜30日目 ぐだぐだ。

‥そういえばやってたな、主体性テスト(^▽^;)。

毎日読んで理解しようと思ってたけど、いつしか手に取ることもなくなり、その辺に置いとくだけになっている。

思い返せば、ここのところ主体性があるとはとても言い難く、ひまがあればYouTubeをみている、頭空っぽの感じの生活だった(T_T)。

 

帰宅、疲れてネットみる、積極的にこれが見たいというものがなくなっても探し続ける。

何かしらおもしろそうなものがあるので見続ける。ふと気がつくともう夜中。ばたばたとシャワー浴びてまた寝る前にネットを見て、ぎりぎり寝なきゃならない時間まで起きている。

 

‥という生活。主体性があるどころか、廃人に近い。自分を消そう消そうとしている(^▽^;)。

 

わかったのは、私は放っておくとすぐ悲観的になってしまうたちなんだということ。

まあ実際、将来に期待が持てるかというと厳しいものはあるけど、何か起こる前に先回りして悪いことばかり考えてしまってはやくも絶望する(^▽^;)。

まだそこまで行っていないうちから逃げ腰になる。

現実を直視したくない!と必死に気を逸らそうとして、こんなにYouTubeから逃れられないかもしれない。あるいは何かヒントを探そうとして?

やらなきゃならない、うんざりするような用事はたくさんあって、見たくないので別のことをする( ̄◇ ̄;)。普通に過ごしていても、結構スケジュールは埋まるから、それなりに忙しく、それなりに楽しいこともあって、なんとなくその場その場で過ごして時が過ぎていってしまう。

そんな感じでした!

だめじゃん。

 

いやでも、いかに自分が主体性がないかよくわかった。

あと、希望がなければやる気もでないということがわかった。

同じ環境にいても心の持ちようでぜんぜん人生が変わる、というのはそういうことを言ってるんだと思う。

 

①主体性:25日目 楽しいことは続く。

何かこれという目標や目的がなくても、これをやってると飽きなくて、気がついたら長い期間やっていた、と言う人が時々いる。

そのことこそが、その人に与えられた才能だと思う。

それがたとえお金にならないことでも、世界でナンバーワンでなくても。

その人に与えられたなかで、一番の才能はそこにある、という気がする。

 

努力しなきゃ、と無理してやっていることは続けるのが難しい。

本人にとってはどんな遊びより楽しい。

まずそこにその人の中心はある、という気がする。

その人の幸せはそこにある、という気がする。

 

努力とか、義務感ではなくて、ずっとやっていることってなんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

①主体性:24日目 わーっと叫んですべて虚しいと思うとき。

そういうときが時々ある(^▽^;)。

それがどういう時か考えてみると、「コントロールできないこと」

を考えている時だな、と気づいた。

 

その内容もよく考えると

「絶対コントロールできないこと(過去のこと、自然現象のことなど)」

「コントロールできないと思っていること(向かい合えばできることはあるけど、とても面倒で向かい合いたくないこと)」

の2種類がある。

 

どっちにせよ、そういうことを考えている時間は多いと思った。

気がつくと考えていたりする。

 

最近考えててわーっヽ(`Д´)ノ !

となったことを書いてみると、

 

「どんどん暑くなっていってしまうのだろうか」

地震は大丈夫なのか」

「食糧難とか来たらどうしよう」

「またコロナ前の満員電車や人混みが戻ってきて嫌」

「どんどん老化してくな」

「悪い病気にかかってるのかも。急に死んだらどうしよう」

「経済的に不安定なのに、長生きしたらどうしよう」

「収入無くなったらどうしよう」

「何も才能ないよなー」

「この先どうなっていくんだろう」

ああ、どんどんでてくる( ̄◇ ̄;)。

死ぬのも長生きするのも怖がってるってどういうことよ(^▽^;)。

 

分けてみた。

コントロールできないこと

「どんどん暑くなっていってしまうのだろうか」

地震は大丈夫なのか」

「食糧難とか来たらどうしよう」

「またコロナ前の満員電車や人混みが戻ってきて嫌」

「どんどん老化してくな」

「悪い病気にかかってるのかも。急に死んだらどうしよう」

「経済的に不安定なのに、長生きしたらどうしよう」

「収入無くなったらどうしよう」

「何も才能ないよなー」

「この先どうなっていくんだろう」

 

コントロールできるところもあること(ちいさなことでも)

「食糧難とか来たらどうしよう」→ 食品ロスをなくす。備蓄。自分で作る。

「どんどん老化してくな」→生活の仕方で老化を遅らせる。

「悪い病気にかかってるのかも。急に死んだらどうしよう」→検査する。後半はコントロールできない。

「経済的に不安定なのに、長生きしたらどうしよう」→経済的に安定するために動く。後半はコントロールできない。

「収入無くなったらどうしよう」→経済的に安定するために動く。

「何も才能ないよなー」→だから何?(⌒▽⌒)なんでもやってみる。

「この先どうなっていくんだろう」→自分が方向を決められることもある。コントロールできないこともあるけど。

主体性テストは「コントロールできることだけに関わる」ということ。

よく考えるとコントロールできることはたくさんある。

ありすぎて、本当に考えなければならないのは

どれを優先するか、ということなのかもしれない。

コントロールできるが、それに取り掛かると時間がとてもとられる、ということになると、

どれをコントロールできるか、ということより、どれが大事か、ということが問われてくる。

どこに時間を割くべきか。

うーん。

 

①主体性:23日目 あ、主体性テストってこういうことだったのか(いまさら)。

なんだろう、読んだはずなのにすぐうろ覚えになるのは(^▽^;)。

やっぱり本は手元に置いとかなきゃだめだなー。

1回読んですぐ売ったりすると、頭に全然残らない。

何回も何回も読んで、だんだん心に染みさせていくという感じ。

 

色々書いてありすぎてかえってぼんやりとしてしまったけれど、そもそも「主体性30日間テスト」ってシンプルに

30日間毎日、影響の輪の中のことだけに取り組む。

ということだけのことだった。

 

 

問題と解決法

①自分の行動に関わる問題(直接コントロールできる)→習慣を改める、反応の仕方を選ぶ。

②他人の行動に関わる問題(間接的にコントロールできる)→影響を及ぼす方法を考える

 

③過去のできごとや動かせない現実(コントロールできない)→見方(態度)を改める

このうち取り組むのが①と②、つまり自分から積極的に取り組めばなんとかなるものごとに取り組め、ということだった。

 

 

 

 

①主体性:22日目 受身になる環境整いすぎてる‥。

えーと、つい忘れがち、主体性(^▽^;)。

やっぱり、ついだらだらして動画をみている。

面白いアニメ!面白いyoutube

特にYoutubeなんて各ジャンルのすごい才能を持った人たちが、面白い動画を作っている。

みなきゃ損、って感じ。

しかも無料の上、手軽。

こりゃ見ちゃうよ〜

誘惑に勝つのは難しい。

本当すごい人はたくさんいるなと思う。

 

もともと何かを観たり聴いたりするのは好きだった。

演劇やライブ、コンサート、お笑いライブ。

本や漫画、映画。

その場に行かないと、あるいは現物を手に入れないと見られないから、せっせといろいろなところにでむいたものじゃったー。

 

考えてみたら、この全部が今はパソコンや携帯で見られる。

すごい時代になったのう。

出不精の私には願ったり叶ったりの時代。

そりゃだらだらと家にいて動画を見るさ!

 

と、長々と言い訳(⌒▽⌒)。

自分がやることを増やそうって5日目に決めたのに。

インターネットがこんなに普及していない頃、他人の人生(才能)を見ている時間より、自分の好きなことを自分でしている時間のほうが圧倒的に多かった。

たとえそれが無駄なことでも。

でもその頃はもっと心から充実していたような気がする。

ネットを見ていても感動したりするけど、もっと実感が伴った感じの。

 

そういえば無駄なことって現代は金にならないこと、とほぼ同意義になってる。

金に結びつかないことは無駄なこと。

でも、金に結びつかなくても、才能がなくても、個人的に興味を惹かれて、調べてみたり、やってみたりしたいことはいろいろあるのだ。

 

自分が興味のあることをやるというのは、主体性の第一歩かもしれないけど、興味がコロコロ変わるというのは、舵が壊れている船みたいなもので、港に近づける感じがしない(T_T)。

港を定めることが、舵を正しい方向に向ける方法なのかもしれない。

 

無駄なものに対する興味(好奇心)は人それぞれ。不思議だ。

それも極めれば稼げる世の中。無駄ってなんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

①主体性:21日目。目標がない人は使われるだけ。

目標がないと人に使われる人になるだけ。

 

これは何で読んだのか忘れたが、最近よく思い出す。

 

私はずっとそれでいいと思っていた。

面倒な雑用を引き受ける。

自分よりずっと能力や魅力のある人の、つまらない雑用を引き受けるのは当然だと。

 

でもある時から気がついた。

これは私にだって、つまらない仕事だ。

でも相手からも周りからも、誰にでもできる大したことのない仕事をしてるだけだと思われる。軽んじられる。影の薄い人と思われる。

 

いくらその人が魅力的でも、その人の目標は私の目標ではない。

自分の目標ではないことに、時間をかけ、軽んじられる。

その人にとっては雑用をする十把一絡げのヒト。

そんなことをしているうちに、自分自身に対しても、自分の影が薄くなっていく。

 

本当に優しい性格で、フォロワーに徹する人もいるのかもしれない。

その人の目標と自分の目標が一致する人もいるのかもしれない。

でも私はやっぱり、自分の目標に自分の労力を使いたい。

 

そうして、そんなことを考えるくらいだから、

自分の心の中のどこかに目標があるんだと思う。

 

ずっと自分の場所はここだ、と思えるところが欲しいと思っていた。

尊敬する人の雑用をやったところで、そこが自分の居場所とは思えなかった。

まず、私の場所はここ、と思えるところが欲しい。

そうなのだ。

泣きたいほど、そう思う。

 

 

 

 

 

 

 

①主体性:20日目。いじけた気持ちを掘り下げない。

ともすると、卑屈になる(⌒▽⌒)。

軽く見られていることが感じられて、無気力と怒りに襲われることがある。

客観的にみると、まあそれも無理もないけど、やはり悲しい。

いろいろなものに恵まれている人は輝いている。

自分が嫌になる。

何もかも嫌になる。

‥(鬱)‥

 

それでも!

やっぱりそんなこと言っていても仕方ない。

こう生まれついてしまったものは、仕方ないのだ。

人がどんなに軽んじても、自分だけは自分を大切にしよう。

って、陳腐な言葉だけど、本当に大事なことだと思う。

 

やっぱり自分の舵取りをするのは自分しかいないのだ。

自分と死ぬまでずーっと一緒にいるのが決まっているのも、自分だけなのだ。

だから、自分くらいは自分を信じて愛してあげよう。

みんなそれぞれ、それでいいのだ。

まずはそれでいいのだ、きっと。

ひとりよがりだの、ナルシストだの言われようが、そこから、良い世界は始まると思う。

 

結局自分のことを一番気にかけているのは自分なのだ。

どうせ気にかけるなら、罵ることはやめて、大切にしよう。

色々あっていじけた気持ちになった時は、

「それはちがう!」

とそんな気持ちに断固としてストップをかけよう。