①主体性:1 9日目。才能の有無なんて考えない方がいい(⌒▽⌒)。
あるイベントで、参加者が自分の作った歌を披露した。
人前で歌いたいくらいだから、よほどうまいんだろうと思った。
しかし、思った以上に下手で、え?という感じ。
早く終わらないかな〜と思った(ごめん)。
でも、私は感心してしまったのだ。
彼は堂々としていた。
自分の歌や詞がとても良いものだと信じて歌っていた。
それでいいと思う。
行動を始めるには、それがいいと思う。
俺なんて、とか言ってると何もできない。
たとえその評価が客観的に正当なものだとしても、まずは人の迷惑顧みず、忖度なんてせずに自分のやりたいことを思い切りやってみること。
うまいへたは全然気にせず。
才能がきらめいている幾多の人と自分を比べることもなく。
いくらやっても非難ごうごう、散々な評価だったら?
一番いいのは、それでも自分のやってることを気に入っていて、ぜんぜん気にせず、楽しく続けることだ。
それができる人は、たとえ世間に認められなくても、やっぱりそのことに関して才能があるんだと思う。
世間に認められなければ、お金を稼ぐのは難しいかもしれないけど、その人自身は幸せだろうと思う。
多分、主体性を自然に持ち続けられるのは、そういうものに対してだと思う。
それでも私はそれが好きだ、そのことをやらずにいられない、という熱意を持ち続けられるもの。
①主体性:1 8日目。とりあえず客観的なデータを書き出してみる。
主体性を持つには、ひとまかせにせず自分で決めること。決断力が必要だ。
それが私にとっては本当に難しい。
こっちの道に行くかあっちの道に行くか。
悩んでいるのは苦しいので、出かけたり、動画見たり、別のことに逃げる。
すると、それなりに楽しく忙しく、あっという間に1日が終わる。
その繰り返しでなかなか決められない。
昨日は別のことをやりたい気持ちを振り切って(ついに!(⌒▽⌒))、悩んでいることに関する客観的なデータを簡単に書き出してみた。
思い違いや忘れていたことも多い。
何が解決したわけではないが、それをしている間は事実に集中しているせいか、悩むことはなかった。
そして、書いたものを眺めていると、そんなに恐れることもないかもしれない、と思った。
やってみよう。
今持っているものがなくなったらなくなったでもういいや、やれるだけやろう、と思った。
恐れの正体は、失いたくないと言う気持ちだ。
行動すれば何かが変わる。
それが怖い、という気持ち。
執着心を捨てれば怖いものはなくなる、
と言ったのは誰だったか。仏教の教えだっけ?
失えば取り返しがつかないかもしれないと思うのは怖い。
でも、諸行無常というのは世の流れ(⌒▽⌒)。
確実に幸せになれる方法なんて誰にも分からない。
あとからみればこっちがよかった、なぜそうしなかった、なんて言うけど、その時にもどればやっぱり迷うんだろう。
予想をするのはやめて、思い切って行動することも大切なのかもしれない。
①主体性:1 7日目。理性は感情に勝てるか?
Dr. Stoneに最近ハマっている(⌒▽⌒)。
文明を一から作る壮大な話だ。人類絶滅後、わずかに残った人間が、希望を捨てずに文明の記憶を代々伝承していく。何代も何代も‥。そしてついにそれを理解する人間(息子)に届くことになる‥。
という壮大な話。
そんなアニメをみていると、今悩んでることなんて、なんてちっちゃいことだろう、と思う。
こんなくだらない争いに残り少ない時間をかけてもいいものだろうか。
もっとやらなきゃならないことがあるんじゃないんだろうか。
そりゃ文明を救うとかそんな大きなことじゃないけど、こんなのに時間使ってる場合なのか、もっと有意義な生き方はないのか、とか思ってしまった。
一方で今ここと対決しないと、先に進めないような気もしている。
ずっとそれに心を悩ませていそうで。
先送りして大丈夫なのか、といつも心に引っかかっていそうで。
悩んでいるうちに、うっかりまたいろいろな啓発本に手を出してしまった😝。
みんな一理あるけど、みんな言っていることが違ったりする。
「感情に振り回されず、理性を持って、理想に向かって行動しなさい。
感じ方は自分で選べる。」
とコヴィー先生はいうけど、
「感情が納得しない限り、いくら理性ではこれがいいと思っても行動できない。
感情に正直に行動しよう。」
と言っている本もある。(⌒▽⌒)
それぞれ一理ある!
しかし、今の私には感情優先の考え方の方がしっくりくる。
いくら感情に逆らってこうしよう、とあれこれ自分を説得しても、気がつくと元の感情に戻ってしまっている、堂々巡り。
やばい、はやくもコヴィー先生の教えから離脱しそうだ(^▽^;)。
今のところ、ただひとつの願いは、早く自分の心を決めたい、ということだ!
サイコロふる感じじゃなく、自分で納得して。
どっちつかずで悩んでるのが一番疲れる。
↓今の自分には、とてもすんなりと納得できる本。
コヴィー先生は
「設計図を完全にきちんと書いてから作り出せ」
この本は
「まずちょっと作ってみて、様子みながら修正しながら段々作っていこう」
実際何か作る時も、私はこの本のタイプ。
設計図がぼんやりとしかイメージできずに、作ってみないとわからない。
↓ドクターストーン。そう簡単に作れないでしょ、と思いつつひきこまれる(⌒▽⌒)。
①主体性:1 6日目。行動しないのは恐れからなのか、それが正しいからか。
ここのところずっと、心の中を占めている問題がある。
そのことと真正面から向き合うか、あえて我慢して波風をたてないでいるか。
どちらが正しい選択なのか、半年以上悩んで、決められないでいる。
主体的に動く、というと、とにかく行動するのがよいように思えるが、行動しないという選択ももちろんあると思う。
どちらを選ぶにせよ、自分で決めて、決めたことに対して腹を括る、ということが主体的ということだろう。
しかし、私の場合、行動する、と決めるととたんに、悪い結果になる未来をあれこれ想像して、やっぱりそっとしておいた方がいいかなあと思う。
そう思ったとたん、行動しなかった場合のひどい未来を想像して、今行動した方がいいのかなあと思う。
その堂々巡り(^▽^;)。
未来はどうなるかわからない。
それなのに確実な成功が保証されたくて動けなくている。
うまくいかなかった場合の自分の後悔や周りの非難を考えると身がすくむ。
未来から見て、
「あのときやっぱりこうすればよかったんだ。よく考えればわかったのに。」
と言うのは簡単だけど、あのときはあのときで真剣に考えた結果だったのだ。
たぶんその時点で感じるメリットとデメリットが同じくらいだったんだと思う。
なのに、未来から過去を見て、神のように、
「愚かなことだった。」
と後悔したり責めたりしても意味ないと思う。
‥と言いつつ、やはり決められない(^▽^;)。
動けないでいるのは「失敗する恐怖」が大きいからにほかならない。
行動しないと言うのは、恐怖に負けているから、現実をみるのをさけようとしているからじゃないのか?
いやいや、行動したら他のもっと大事なことに手をつける暇がなくなるんじゃないんだろうか。行動するというのが逆に他のことから逃げるための口実じゃないだろうか、
とかもう色々考えすぎて頭が混乱( ̄ロ ̄|||)。
主体性をもつには何より決断力が必要だ。
「私がそれを決めた。その道を行ってどんなふうになろうと、私はそれに向き合う。
もう後ろは振り向かない。」
という決心。
うーん。もう少し考えよう‥。
①主体性:1 5日目。一番参考になりそうな友達に聞いてみた。
7つの習慣の言っていることを考えていると、自然と浮かんでくる友達がいる。
ああいうことか、と友達のことを考えて納得する。
自分のやりたいことを持ち続けて、実際どんどん形にして、毎日を豊かに生きている。
仕事と家族と自分、のバランスもいい。
彼女の選んだ仕事は、彼女の性格に合っているなあと思う。
彼女じゃないとこういうふうにならなかっただろうな、といつも感心している。
あんなふうにうまく、自分にふさわしいジャングルを見つけたい(⌒▽⌒)。
その彼女に7つの習慣の話をしてみた。
周りのせいにせず自分から動く(第一の習慣)、理想からブレない(第二の習慣)、それぞれの役割について偏りなく活動するために、1週間単位でスケジュールを組み、きちんとこなしていく(第三の習慣)。
(続きはまだ読んでないからそこまで。)
すると彼女はこう言った。
「そんな理想とか、有益なこととかばっかりやってると疲れちゃう〜。
私はもう、ありのまま、そのままが一番よ〜」
って、おい(⌒▽⌒)。
第三の法則では優先度について語っている。
緊急度と重要度によって、ものごとはなんでも
に分けられる。
2の時間を増やすことが大事なんだよ、と言うと、
1に追われてて2がなかなかできないって。
だから4を減らすのが大事なんだって、と言うと
「4って思ってることも本当は重要なことかもしれないよ〜(⌒▽⌒)」
とせっかくぱきっと割り切れてることをあいまいにする。
もー。
そんな感じなのに、やっぱり一番7つの習慣を実践している人のように見えるのだ。
確かに一生懸命がんばってます!という感じはしないけれど、(こっちからみると)いつのまにか夢を叶えているというふうに見える。
いつも忙しそうだが、いつも楽しそうだ。
私は彼女の話を聞くのが好きだ。
いろいろなことが起きるけど、トラブルを含めてそのすべてが面白い。
面白い話になるのは、本人が面白がっているからだと思う。
「仕事はお金を稼ぐ手段で、どんなつらくてもやらざるを得ない。収入がなければ生活できないんだから。」
と言われ続けたけど、やっぱり向いている、とどこか思う仕事でなければ長続きはしない。
つらいけどがんばらねば、といつも思っている仕事には、いつか感情が疲れ果ててしまう。
仕事は楽しいばかりではないけど、楽しいところがあまりない仕事は、別のジャングルなんだと思う。
まず正しいジャングルにたどりつきたい!
①主体性:14日目。主体性を持ち続けるためには。
主体性主体性言うけどさ、そういつも前向きになれるわけじゃないよ、とちらちら思う(⌒▽⌒)。
有益そうな目標とか、そのためにやるべきこととか、色々想像してみても、問題は
「やる気が続くか」
ということなのだー。いや、そもそも
「やる気がでるのか」
ということなのだ!
例えば
「簡単な英会話を覚える」
という目標。有益そうだ。
でも、自分にとっては魅力がないのだ。だから立ち消えになるのだ😝。
著者は「一時の感情に流されず、目標を達成するために理性で自分を律しなさい」
と言っているが、感情に逆らうのが結構難しい。1回や2回ならともかく、何回も逆らってると、ある日突然感情の逆襲があると思う。ムキーってなってしまう😝。
やっぱり感情が生き生きとして、喜んでやるものでないと長続きしない気がする。
有益だからという理由だけで、感情はイヤイヤなのに続けようとしても、何か少しきっかけがあると、すぐやめてしまう。
何か目標に向かって主体的に行動するのに一番無理がないのは、
「その目標が自分にとってはとても魅力的」
「それに向かっていく途中の時間も楽しい」
そう、旅行とか趣味の時間のときと同じ気持ちになれれば、自然と主体的になれる。
努力を努力と感じさせない目標か。
うーん。
そう思うと、自分にふさわしい目標を見つけることこそが難しい。
私もいろいろかじってきたけど、今のところこれというものは見つかっていない(^▽^;)。
(たとえ目標に達しなくても)好きなものがみつかったことの方がずっと嬉しかった。毎日隙間なく充実した時間を過ごすことができるのがうれしかった。それだけで十分に思えた。
という心境になるのが理想で、これはどんな種類の幸せよりも幸せだ、と私は思う。
↓ 書くことを見つけた時の喜びにじーんとした。